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東京地方裁判所 平成4年(ワ)21797号 判決 1995年9月07日

原告 亡小林英治訴訟承継人 小林義昌

右訴訟代理人弁護士 神岡信行

同 寺澤政治

被告 三井ホーム株式会社

右代表者代表取締役 赤井士郎

右訴訟代理人弁護士 伊藤茂昭

同 溝口敬人

同 藤原隆宏

同 松田耕治

同 平松重道

同 布施繁雄

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二七四九万七一一三円及びこれに対する平成四年一二月二三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、当初一筆の土地であった別紙物件目録一及び二記載の土地(以下別紙物件目録一記載の土地を「本件土地一」、同二記載の土地を「本件土地二」、双方あわせて「本件土地」という。)の所有者(持分二分の一の共有)であった小林英治(以下「英治」という。)の長男であり、同人の代理人として本件土地の管理、処分の一切を委ねられていたが、英治は、平成六年四月一九日死亡し、原告がその権利義務の一切を承継した。

被告は、住宅の設計・施工監理・施工請負等を目的とする株式会社であり、三井不動産株式会社(以下「三井不動産」という。)のグループ企業である。

2  債務不履行

(一) 本件契約の締結

英治は、被告との間で、平成三年三月二四日、本件土地上に事業用オフィスビルの新築を被告が英治から請負うに際し、被告グループが同ビルを一括して借り受けて各区画を第三者に転貸し(以下「サブリース」という。)、第三者の入居の有無にかかわらず、毎月坪当たり二万円又は一万八〇〇〇円の保証賃料を英治に支払うとの事業受託契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

仮に、右時点での本件契約の成立が認められないとしても、英治と被告との間で、平成四年一月ころまでの間に、坪当たり月額一万六二〇〇円で賃料保証する旨の本件契約を締結した。

(二) ところが、平成四年五月二六日、被告は、右賃料保証ができなくなったとして、その後具体的対応を何ら示さず、本件契約に基づく事業用ビル新築計画は頓挫してしまった。

3  契約準備段階における信義則上の義務違反

仮に、英治と被告との間において、本件契約が成立していないとしても、英治は、被告のサブリース及び賃料保証があるので、事業としてのリスクがなく採算が十分採れるということから、事業用オフィスビルの新築を行うことを決意し、被告と交渉を重ねてきたものであって、遅くとも被告が、平成四年一月一四日、東洋信託銀行株式会社渋谷支店(以下「東洋信託銀行」という。)に対し、新築ビル建築資金を英治に融資するよう申入れをした段階において、英治と被告とは、英治が事業用オフィスビルの新築工事を被告に請け負わせる前提として、被告が英治に対し、坪当たり月額一万六二〇〇円の賃料を保証するとの本件契約締結の準備段階に入ったものというべきである。

被告は、このような場合、契約成立に向けて誠実に努力交渉すべき信義則上の義務を負うにもかかわらず、なんら正当な理由なくして、契約の締結を拒否し、又は契約締結を不能ならしめたものである。したがって、被告は、右信義則上の義務違反を理由として、英治に対して、その損害を賠償すべき義務がある。

4  英治の損害

英治は、被告による本件契約の債務不履行又は信義則上の義務違反によって、次の合計二七四九万七一一三円の損害を被った。

(一) 英治は、有限会社小鮒昌一建築設計事務所(以下「小鮒事務所」という。)に新築ビルの建築設計及びその変更設計を請け負わせ、その報酬として、平成四年三月三〇日、二〇〇〇万円を支払った。

(二) 英治は、東洋信託銀行に対し、新築ビル建築資金として同行から借入れた九〇〇〇万円についての平成四年三月三〇日から同年八月二日までの利息一八六万四一一三円を支払った。

(三) 英治は、本件土地上の既存建物の賃借人らを立ち退かせるために立退料を支払うなど合計五六三万三〇〇〇円の損害を被った。

5  よって、原告は被告に対し、主位的には、債務不履行に基づき、予備的には、契約準備段階における信義則上の義務違反に基づいて、右損害金二七四九万七一一三円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である平成四年一二月二三日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2ないし4の各事実はいずれも否認する。

英治と被告との間で、いまだ本件契約の成立にまでは至っていないし、英治は、賃料の保証方式や保証金額等について具体的な合意に至っていない段階で、他の設計事務所と設計契約を締結したり、金融機関から融資を受けたとしても、それは自らの責任において行ったものというべく、被告に契約準備段階における信義則上の義務違反はない。

理由

一  請求原因1(当事者)の事実は、当事者間に争いがない。

二  主位的請求(債務不履行に基づく損害賠償)について

1  請求原因2の(一)(本件契約の締結)について判断するに、甲第六、第七号証、第八号証の一、二、第九号証、第一四号証、第一七ないし第一九号証、第二一号証の一、二、第二二ないし第二四号証、第二五号証の一ないし三、乙第一号証、第二号証の一ないし四、第三ないし第九号証並びに証人小林義昌及び同柏又秀行の各証言によれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、平成三年一月ころ、三井不動産からダイレクトメールにより送付されてきた「三井レッツ・システム」のパンフレットを見て、同社に対し、英治を代理して税金対策を含めた本件土地の有効活用の相談を持ち掛けたが、同社は、レッツ・システムで扱う規模には該当しないとして、この案件を被告の港営業所に紹介したところ、被告の方から原告に対し電話で連絡を入れたうえ、同年二月一六日、被告の同営業所課長西部勝巳と担当者柏又秀行(以下「柏又」という。)とが原告方を訪れた。

柏又らは、原告に対し、家賃査定報告書(甲第六号証)を示し、本件土地に事業用オフィスビルを新築して、これを被告グループが一括借受して第三者に転貸して(サブリース)、第三者の入居の有無にかかわらず保証賃料を被告が英治に支払うという方法を提案し、事務所なら坪当たり月額二万円くらいの金額を保証できると説明した。

原告は、ビルの新築、買替え及び売却の各場合で建築費用の見積もり、税金等によって採算がどうなるか不明で決断できなかったため、柏又は、次回、これらの点を調査し、ビル新築の図面、資料を作成してくることになった。

(二)  柏又は、同年三月二四日、原告方を訪れ、原告に対し、事業計画案等(乙第二号証の一ないし四)を交付して、右のオフィスビル新築の方法なら、相続税対策としてのみならず、事業所得がほぼ永久的に確保できる、賃料の保証がされているため事業自体に不安がない等の説明をした。

その際、柏又から書面で示された保証賃料額は、月額四四五万二〇〇〇円というものであり、事業収支としては三年目から黒字に転じるものであった。

(三)  柏又は、同年四月二五日、原告方を訪れ、原告に対し、収支概要表・収支予想表(甲第一七号証又は乙第三号証)を提出し、英治に対する賃料保証は一か月坪当たり二万円くらいになる旨の説明をした。

(四) 原告は、被告の同意を得て、同年五月一五日、英治を代理して新築する事業用オフィスビルの建築設計を小鮒事務所に請け負わせた。

(五)  柏又は、同年五月一七日、原告方を訪れ、原告に対し、英治から被告に建築工事を発注する旨の施主側の意思確認を内容とする基本合意書(乙第四号証)を示して調印を求めたが、原告はサブリースの関係が入っていないことを理由に調印しなかった。

そこで、柏又は、サブリースの内容として、保証賃料は市場価格の八五パーセントとする旨の確認書(乙第八号証)を、原告に提出した。

原告は、これらを原告代理人の弁護士に相談し検討の上、間もなく右基本合意書(乙第四号証)と確認書(乙第八号証)にそれぞれ追加訂正を加えた書面(甲第二一号証の一、二。その中で、原告は、賃料保証の方法について、定額方式を意味する「仕切りの契約も選択出来るものとする。この場合の金額は、相互に合意した金額とする。」との追加を行っている。)を柏又に提出したが、調印には至らなかった。

(六)  柏又は、同年七月二九日、原告方を訪れ、原告に対し、新たに小鮒事務所を加えた三者契約の形式の基本合意書、確認書及び合意書改正点(甲第二五号証の一ないし三)を提出したが、調印には至らなかった。

(七)  英治は、柏又の勧めもあって、同年九月一一日、本件土地の共有者小林隆雄との間で、本件土地一(英治所有)と本件土地二(小林隆雄所有)とに分割し、その旨の分筆登記をした。

(八)  柏又は、同年一〇月中旬、原告方を訪れ、原告に対し、新しくできた小鮒事務所の設計図面を基に事業の収支を再度計算した収支概要表・収支予定表(甲第一八号証又は乙第五号証)を提出し、サブリースの金額が一万六二〇〇円になることを説明した。

(九)  柏又は、同月二六日、原告方を訪れ、原告に対し、小鮒事務所を加えた三者での基本合意書(乙第六号証)を提出したが、原告は、右合意書にもサブリースの内容が書いてなかったことから、それを要求した。そこで、柏又は、サブリースを行う場合、仕切り方式を採用し、その金額については、「坪当たり一万八〇〇〇円を目標とする」旨の確認書の原案を提出したが、それにつき原告が「を目標」部分を削除して、英治の署名押印をしたものの(甲第二二号証)、結局右の基本合意書を含め、調印には至らなかった。

同じころ、柏又は原告に対し、備考欄に事業収支最終形予想表とある収支概要表(甲第一九号証又は乙第七号証)を提出した。これによると、坪当たり一万八〇〇〇円の賃料保証が示されている。

(一〇)  同年一一月一三日、被告の港営業所において、原告、小鮒事務所の代表者、柏又、被告社員の佐藤仁美、同藤井進也及び被告が新築建物の賃貸管理会社として原告に紹介したビルディング不動産株式会社(以下「ビルディング不動産」という。)の担当者が集まって協議した結果、保証賃料額を坪当たり一万六二〇〇円以上に増加させるため、小鮒事務所に建築設計の変更を依頼した。

(一一)  柏又は、同月三〇日、原告方を訪れ、原告に対し、ビルディング不動産の検討結果は、設計変更しても賃料保証額は一万六二〇〇円から上がらない旨を報告した。

(一二)  柏又は、原告に対し、ビル新築等の資金の融資金融機関として、三井信託銀行株式会社を紹介し、同年一二月九日、原告及び柏又は同行担当者と面会したが、同行が最終的に融資を否決したため、柏又は、平成四年一月一四日、東洋信託銀行に融資の審査を依頼することになった。

柏又は、東洋信託銀行の担当者から、英治への融資内容を審査するための参考資料として、「ひな型で結構ですから提出して下さい」との要請を受けたため、同行に対し、賃貸借契約書(甲第一四号証)を差し入れた。右契約書には、新築するオフィスビルを被告が原告から一括して借受けて、第三者に賃貸し、原告に対し賃料として坪当たり一か月一万六〇〇〇円で総額四五九万五六八〇円を支払う旨の内容が記載されているものの、当事者の押印もなく、賃貸人は英治とすべきところを原告とされている。

東洋信託銀行は、同年三月二四日、英治に対する総額六億九〇〇〇万円の融資を決定し、同月三〇日付けで本件土地一に同行を権利者とする抵当権が設定され、融資の分割実行として英治は同行から九〇〇〇万円の融資を受けた。

(一三)  英治は、同年四月八日、新築工事の標識を設置し、同月一三日、被告が英治の代理人として、本件土地上の駐車場利用者に明渡しを求める通知書を発送し、また、同年一七日、原告、柏又及び小鮒事務所の代表者が近隣に新築工事の挨拶を行うなどした。

(一四)  原告は、同年五月二六日、東洋信託銀行から、被告の港営業所長である池田彰が、これまで述べていた賃料保証ができなくなったと言ってきた旨の電話を受け、原告は、被告に対し抗議した。しかし、その後、被告はオフィスビルではなくマンション建設の提案をするのみで、結局、事業用オフィスビル新築計画は頓挫した。

その後、英治は、東洋信託銀行から、既存融資分以上の融資を拒否された上、既存融資分につき、同行取引先によるマンション建築事業により返済するか、抵当権の実行を甘受するかの選択を迫られたため、前者を選択し、現在、本件土地一上には賃貸マンションが建築されている。

2  まず、原告は、平成三年三月二四日、英治と被告間に、坪当たり月額二万円又は一万八〇〇〇円で賃料保証する旨の本件契約が成立したと主張し、証人小林義昌の証言中には、右主張に沿う供述部分がある。

しかし、前記認定事実によれば、同日の柏又の訪問は、本件に関していまだ二度目の訪問で、前回原告から要望のあった点につき、ビル新築、売却又は買替えのいずれがよいかを分析した結果、ビル新築の方法を推奨する旨事業計画案として提出したに過ぎず、ビル新築をするならば、これから建築建物の設計概要を相談していく段階であるといえるのであって、建築する建物の概要すら決まっておらず、具体的な賃料額を定めた賃料保証の契約を成立させる前提を欠いているといえる。現に、その後、賃料保証につき定額方式を意味する仕切り方式と転貸賃料に対する率で定めるいわゆるマネージメント方式のいずれを採用するかについて、原、被告間でやり取りがあり、同年一〇月二六日ころ一応仕切り方式に決まったとはいえ、その後も被告申出による保証賃料額が変動し、新築建物の請負に関する基本合意書及び保証賃料額についての確認書につき、原、被告間で何度もやり取りがなされているものの、結局調印には至っていないこと、一括借り上げ及び賃料保証する当事者についても、同年一一月一三日ころからビルディング不動産の名前が出てきていること等の事情を総合考慮すると、同年三月二四日の時点では、賃料保証の金額・方式・当事者等の重要事項が確定しておらず、むしろ、その後に、これらを確定した上書面でもって正式に本件契約を成立させることが予定されていたものといえるのであって、いまだ契約が成立したとは認められない。

3  次に、原告は、仮に右時点での本件契約の成立が認められないとしても、柏又が東洋信託銀行に賃貸借契約書(甲第一四号証)を提出した平成四年一月ころまでの間に、坪当たり月額一万六二〇〇円で賃料保証する旨の本件契約が成立していたと主張する。

しかしながら、前記認定事実によれば、柏又が東洋信託銀行に差し入れた賃貸借契約書(甲第一四号証)には、当事者の押印もなく、賃貸人は英治とすべきところを原告とされているというのであり、さらに、賃料保証額についても、これまで原、被告間で話の出ていない一か月一万六〇〇〇円という額が書かれているものであって、柏又が東洋信託銀行の担当者の求めに応じて、融資内容の審査のための参考資料として、必ずしも確定していない内容も含めて作成・提出したものといえることから、同契約書をもって本件契約が成立したと認めることはできない。

結局、本件においては、基本合意書及び保証賃料額についての確認書につき、原、被告間で何度かやり取りがなされているものの、結局調印には至っていないのであって、この段階でも、本件契約が成立したと認めることはできない。

したがって、本件契約が成立したことを前提とする原告の主位的請求(債務不履行に基づく損害賠償)は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

三  予備的請求(契約準備段階における信義則上の義務違反に基づく損害賠償)について

請求原因3(契約準備段階における信義則上の義務違反)について判断するに、前記認定の一連の経緯からすれば、英治の代理人である原告と被告は、本件土地一上に新築する事業用オフィスビルをめぐり、被告においては同ビルの請負契約の締結を目指し、原告においてはサブリース及び賃料保証を根幹とする本件契約の締結を目指して、約一年余りにわたって交渉を続けてきたのであるが、結局、請負に関する基本合意書及び保証賃料額に関する確認書の調印にまで至らなかったものである。それというのも、被告は専門の業者として、原告は原告代理人の弁護士と逐次相談の上そのアドバイスを受けながら、互いに一方的に拘束されることを嫌い、細部まで確定して最終的な契約締結(契約書の調印)の段階に至るまで、フリーハンドの権利を留保しておこうとする意図があったことが窺われる。

もっとも、原告は、被告からサブリース及び賃料保証の提案を受け、それがあるからこそ、事業用オフィスビルの新築計画を進めて被告と交渉を重ねてきたものといえるのであり、これに対する被告の同事業計画からの撤退のしかたを見ると、いささか誠実さを欠くとの批判を免れない面がある。

しかしながら、前記認定事実によれば、被告は、当初は坪二万円で賃料保証する旨述べていたものの、その後平成三年五月中旬には、市場価格の八五パーセントとすることを、同年一〇月中旬には、坪一万六二〇〇円となることを、さらに、原告の要求によっても、坪一万八〇〇〇円を「目標とする」旨の確認書しか出せないことを、各段階で各々表明してきている。すなわち、被告は、保証賃料額を変更せざるを得ない状況になる度毎に、その旨を原告に伝えてきていたのであって、景気の変動により、保証賃料額が低額化してきていることは、原告にも明らかであったといえるのである。

以上本件に顕れた諸事情に照らすと、被告が賃料保証できなくなったとして事業計画から撤退したため、本件契約が成立しなかったからといって、被告につき直ちに契約関係を支配すべき信義則に違反するものと認めることはできない。

したがって、契約準備段階における信義則上の義務違反を理由とする原告の予備的請求も、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

四  結論

以上のとおり、原告の本件請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 萩尾保繁 裁判官 浦木厚利 裁判官 市川智子)

別紙 物件目録

一 所在 東京都豊島区池袋二丁目

地番 七七番一

地目 宅地

地積 二八六・九〇平方メートル

二 所在 東京都豊島区池袋二丁目

地番 七七番一〇

地目 宅地

地積 二八九・九六平方メートル

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